『イタリアの街ガイド』第7回 ヴィチェンツァ 建築史の傑作を見る
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イタリア旅行コラム『イタリアの街ガイド』
ヴィチェンツァ 建築史の傑作を見る~
ヴィチェンツァはヴェネト州に位置する小都市。一人の天才建築家が残した建物群よって別名「陸のヴェネツィア」「パッラーディオの町」と呼ばれる。世界中から建築を学ぶ人たちが訪れる町は、1994年に世界遺産に登録された。
ヴィチェンツァ ~陸のヴェネツィア~
15世紀に北イタリアの雄 ヴェネツィア共和国の支配下となったヴィチェンツァには、多くのヴェネツィア貴族たちが「陸地の」住まいを求めた。やはり貴族たるもの、緑の芝生に囲まれた庭付きの別荘が欲しかったものだと思われる。(笑)

サン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂
ヴェネツィア
当時、この地方には1人の天才建築家が存在した。ヴェネツィアのサン・マルコ広場の対岸に見える非常に形が整ったサン・ジョルジョ・マッジョーレ聖堂も設計したアンドレーア・パッラーディオ(Andrea Palladio 1508-1580)である。
世紀の天才建築家パッラーディオ
彼の代表的な建築であるパラッツォ・ラジョーネ(バジリカ)や、別荘建築の傑作ヴィラ・アルメリコ・カプラ(ロトンダ)を見るとわかるように、古代ギリシャやローマ建築を研究したパッラーディオが設計する建築物は実に「整っており」、「目に心地よい」。

パラッツォ・ラジョーネ
通称パッラーディオのバジリカ ヴィチェンツァ

「あれ、結構、どこにでもあるような建築に見えるんだけど…」と感じた人も自分の感性を信じて欲しい。「アメリカのセレブやイギリスの貴族の邸」にお決まりの玄関に豪奢なギリシャ風の三角形破風をもった西洋建築はとてもありふれたもののように感じるが、これは、パッラーディオの建築様式が、後にイギリスや北アメリカで模倣されまくってしまったのが原因だからだ。
テアトロ・オリンピコ 遠近法の遊び
ヴィチェンツァ市街にあるパッラーディオの代表的建築物といえば、前述のパラッツォ・ラジョーネと世界最古の室内劇場テアトロ・オリンピコ。
舞台はトレビの泉のような豪華な大理石製の背景をもっているが、驚きなのが、騙し絵的遠近法によって劇場背景の後ろに本当の町並みがあるように設計されている。
テアトロ・オリンピコに描かれた天正遣欧少年使節団
1582年(天正10年)に4名の日本人少年が天正遣欧少年使節団として、ローマ教皇への謁見のために派遣された。織田信長は、発起人のイタリア人宣教師アレッサンドロ・ヴァリニャーノに日本における自らの支配体制を誇示するため、安土城の屏風絵をもたせ、ローマ教皇グレゴリウス13世の手に渡ったことが記録に残っている。(屏風は消失)
使節団はローマ以外にもヴェネツィア、ミラノ、フィレンツェなどを訪れたが、実はここヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコも訪れている。それを記念して1596年に劇場内にモノクロームで描かれたフレスコがの中に、西洋風のマントを羽織った日本人使節たちが描き残されている。
それにしても日本が戦国時代に、イタリアでは、大理石で作った豪華な舞台が作られていたなんて驚きだ。
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