『イタリアの街ガイド』第9回 アルベロベッロ

09/12/2018

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イタリア旅行コラム『イタリアの街ガイド』
アルベロベッロ

南イタリアのプッリャ州に位置するアルベロベッロは、トゥルッリと呼ばれる家の風変わりな町並みで世界的に有名な地。1996年に世界遺産に登録された風変わりな建築様式-とんがり屋根と白い漆喰壁-の美しい町並みの誕生にはどのようなストーリーがあるのだろうか。

 

アルベロベッロ
おとぎの国かと思いきや・・・ 武具生産地だった?!

とんがり帽子の屋根をもつアルベロベッロの町並みは、しばしば「おとぎの国のような」と形容される。アルベロベッロという村の名前も、どこか可愛らしい響きをもっているし、石を積み上げただけの「簡素」な家々には、まるで小人たちでも住んでいそう。そんなメルヘンチックナ想像をしてしまう。

 

Alberobello・・・コミカルな響きをもつ村の名前は、「Albero」と「bello」の2語から構成されている。現代イタリア語ではそれぞれ「」、「美しい」なので、町の名前は「美しい木」という意味かと思われがちだが、実際は「bello」にあたる語は、「戦争」を意味するラテン語「bellum」に由来する(現代イタリア語ではbellico)。

14世紀の記録によると、町の辺り一帯は、人っ子ひとりいなかったが、非常に堅い材質のゆえ、武具を作るのに用いられた「樫」の森が広がっていたため、村をアルベロベッロ(戦争の木)と名付けたとか。

現地の人に、「フィレンツェが、花の女神フローラの町だから(フローランス)と名付けられたのと同じようなものさ」と言われたことがあるが、フィレンツェと比べると、「戦争の木」という名が与えられたアルベロベッロのなんと「無骨」なことか(笑)

 

このことは、甲冑を身にまとった騎士が、樫の木を隔てて「強さの象徴」であったライオンと対峙しているアルベロベッロの町の紋章にもはっきりと見てとれる。

 

トゥルッリ これは家ではない!(らしい・・・)

アルベロベッロ開拓のため、小作人たちが送り込まれたのは15世紀のこと。15世紀と言えば、北部ではルネサンスが花開いた時期にあたる。それにも関わらず、どうしてアルベロベッロの建物は、比例、規範の美を追求した他のイタリアの都市の建築様式と、こうも異なるのか。


理由は、今も変わらずイタリアで大きな社会問題となっている「税金逃れ」だ。当時、この地の支配者であったナポリ王国が建物に課した税から逃れるため、漆喰を用いないで、石を積み上げただけの即座に分解可能な住居を建設したためだ。石1つを取り外すと屋根が崩壊するので、徴税人に「これはただの瓦礫の山だよ」と、うそぶくためだったとか・・・

 

なんだかんだで見た目サイコー

石と石の接着剤である漆喰を使わないで家を建てようとすると、応力の分散のため、建物の形は自然に円形で、屋根は丸天井となる。我々からしてみれば、モンゴルの移動式テント「ゲル」のようなものをつくればいいじゃないかと思ってしまうのだが、どんな田舎でも、木で作られた「住居」を見つけるのが難しいイタリアでの話。古代ローマから培った石の積み上げ建築技術を用いて、結果として世にも奇妙な、しかし美しい町並みを構築してしまった。

建物の屋根の頂上にはピナッコロと呼ばれる飾りや、屋根の表面にはシンボルがあるが、それらは星座や宗教的題材からとられたもの。それと同時に表札を表に出さなくても村の住民同士はこの暗号のお陰でどの家が誰のものか知ることができた。このようにして長らく、アルベロベッロでは建物が誰のものか身元の特定ができなかったため、そこに「建物があることがわかっていても」、税金を課すことができなかったという。

 

たくましいというか、なんというか。得意げに歴史を話す人々を見ていて、南部気質というのは今も昔もあまり変わらないような感じがした(笑)

 

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ローマから直通は、かなり遠いので、ナポリ、ポンペイ、プッリャ州の州都バーリ、マテーラなど南イタリアの他の観光地と一緒に予定を組んで、南イタリアを満喫しましょう!


 

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